懐かしの立川に行きました
先日、国立音楽大学の附属図書館に行きました。
数年前に大学主催のコンサートに呼ばれ、変貌した立川の街を目の当たりにしていましたが、今回はじっくりとその姿に触れる機会に恵まれました。
附属図書館は、大学院、音楽研究所、楽器学資料館といった最もアカデミックな部門が集まる建物にあります。
夏休みに入り、学生の姿はちらりほらりと見受けられる程度。静かな緑深いキャンパスを横切って目的の建物に入ると、いきなりゲートで遮られました。私が学生の頃にはなかったものです。

図書館を眺める
磁気カードの利用証がない私は、インターフォンで話して入れてもらいました。
すぐに、利用登録をして磁気カードをもらい、早速資料検索。
以前は、検索用のカードが入ったケースがずらりと並んでいたところに、今は何台もの端末が並んでいます。
書籍から楽譜、AV資料までその端末で検索できるので、とてもスピーディーに必要なものを見つけ出せます。そして、クリックして利用者番号を使ってログイン、予約完了!
あとはそれぞれのカウンターに行って利用証を出せば、予約した資料が手元にすぐ届く!
また、Web上で資料を検索し、それが貸し出し中であるかどうかも確認できるので、無駄に足を運ばなくて済みます。その上、館内で他館の資料を検索できるので、どこに資料が存在するのかまで確認できます。
なんで、こんなことを詳細に記すのか? と思われるかもしれませんが、この図書館のネットワークは、資料を探し出すという時間を飛躍的に短縮させました。
私たちが学生の頃には、資料を見つけ出すことだけでも一苦労だったのですから… 進化する図書館って感じです。
でも、音楽辞典などを置いてある閲覧室は昔のおもかげをそのまま残していて、懐かしさを感じながらそこで心ゆくまで時を過ごしました。
それに、私が学生の頃からいらした司書の方も、まだ健在。ちょっとうれしかったです。

音大1号館
夕方まで図書館で時間を費やし、多摩都市モノレールを使って玉川上水から立川に戻りました。なんて便利になったのでしょう!! またまた感動です。
翌早朝、酷暑の東京にしては涼しい日でしたので、小一時間ホテルの周辺を散歩しました。
私が学生の頃、まだアメリカ風の宿舎が残っていた広大な米軍基地の跡地。陸上自衛隊立川駐屯地は記憶の底にありましたが、あとは空き地だったと思います。
そこが、今や国営昭和記念公園、立川広域防災基地などに生まれ変わりました。
非常時に内閣府や東京都の機能がダメージを受けたときには、国の重要な機能をになう場所となるこの一帯。
内閣府の名前の入ったパラボラ・アンテナ。周辺には災害医療センター、日赤血液センター、警視庁、消防庁の建物もあり、来るべき時をじっと待ち受けている感じが、ひしひしと伝わってきます。
広域防災基地前の4車線道路も、両端にマロニエなどの街路樹が植えられた幅広い歩道を備え、さらに幅の広い中央分離帯にも街路樹が植えられています。
炎を遮断する意味合いがあるのだと、すぐに気づきました。
市民たちが、ウォーキングや犬の散歩でのんびりと散策するこの気持ちの良い道路。災害時、果たしてどのように変わるのでしょうか?
私は変わらぬ日常がずっと続くことを祈りながら、今この時間をいとおしむかのように、ゆったりと歩いていったのでした…
香取智子 wrote|Date:08.08.08|
コメント (2)
コメント
音大1号館前の池気になります☆
また、亀の話しになりますが、この池、水流が強くなければ、絶好の亀池になりそうですね♪石が沢山あるので、甲羅干しにもってこいなかんじ。
甲羅干しし~の、音大生の奏でるメロディー聞きぃ~ので最高の亀に育ちそうですね。ぜいたくや。
家の近くに、図書館と、カフェじゃない、昔ながらの喫茶店が欲しい亀仙人でした。
明日は、海亀になります。
はじめまして。
今月の講座には久しぶりに参加することができ、楽しみにしております。
ブログを拝見して、昔のなつかしい立川周辺の大空き地や米軍跡地が鮮明によみがえって、郷愁の想いから込み上げて来るものがありました。
私は子供の頃よく立ち入り禁止のあの空き地で探検をしておりました。
あの時の風景を先生と語れるなんて、なんとも不思議な気分です。
近年の国立の図書館は少し行かない間にあれよあれよとシステム化が進み、私は毎回操作を聞いているようなきがします...。
でも、昔は検索を自分でしていたなんて驚きました!
あんなにたくさんの資料を人の手で管理していたということにも驚きです!
本当に、便利な世の中になったのですね。